
前回、江戸で家を借りるには「店請人(たなうけにん)」という保証人が必要だった、と書きました。親類や同郷の人に頼むことが多かったそうです。
では、頼める人がいない場合は、どうしていたのでしょうか。
保証人というより、ほぼ「身元引受人」
店請人が引き受けたのは、家賃だけではありません。事典によると、次のようなことを請け負いました。
- 借りる人の出どころ(身元)
- 借金を抱えていないこと
- 家賃の支払い
- 問題を起こしたときの引き取り
家賃を立て替えるだけでなく、何かあれば本人ごと引き取る。いまで言えば、連帯保証人と身元引受人をひとりでやるようなものです。頼まれたほうは、たまったものではありません。
証文も残っています。享保2年(1717年)に、いまの広島県尾道で書かれた「借屋請状」には、家賃とその払いかたが書かれ、保証人が支払いを必ず保証する、とあります。

頼める人がいない。そこに商売が生まれた
町には、頼れる親類が近くにいない人もいます。すると、どうなるか。
江戸時代の半ばを過ぎると、付き合いのない相手でも、お金を受け取って保証人になる人が現れます。これが、だんだん当たり前になっていきました。
保証を「お願いする」ものから、「買う」ものへ。保証会社の考えかたは、このとき芽を出しています。
大坂では、奉行所のお墨付きに
この商売がはっきり形になったのが、大坂です。
大坂では、身元保証を商売にする「家請人」が増えていきました。同時に、借家人の立ち退きをめぐる訴えも、町奉行所に増えていきます。そこで家請人たちは、自分たちの仲間を公認してほしいと奉行所に申し出ました。享保17年(1732年)、53人が「家請人仲間」として指定されます。
家請人の仕事は、身元の保証だけではありませんでした。滞納した家賃の取り立て。家主が必要なときには、すみやかに退去させること。さらに、借家の紹介まで手がけていたと考えられています。
保証会社と仲介会社を足して、取り立てまで引き受ける。いまなら別々の会社に分かれている仕事です。不動産の仕事をしている私から見ると、約300年前の大先輩にあたります。頭が上がりません。
「保証人不要」は、新しい発明ではなかった
物件の広告で「保証人不要」「保証会社利用可」という言葉を見かけます。最近のサービスのように見えますが、発想そのものは約300年前からありました。
保証料を払うとき、もったいないと感じる方もいると思います。けれど、あれは「親戚に頭を下げる代わりの値段」だと考えると、見えかたが少し変わります。江戸時代の人も、同じ計算をしていたのかもしれません。
ちなみに、当時の保証の値段がいくらだったのかは、まだ調べがついていません。宿題がまた増えました。

次回は、江戸の「入居審査」です。借金がないことを、どうやって確かめたと思いますか?
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