江戸時代にも、保証会社?|お部屋探し今むかし 江戸編②

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「江戸時代にも、保証会社?」のタイトルと、筆で文字を書く手元の写真。「請」の印のイラスト入り
写真:Niketh Vellanki/Unsplash(イメージ)。「請」の印はイメージです。

前回、江戸で家を借りるには「店請人(たなうけにん)」という保証人が必要だった、と書きました。親類や同郷の人に頼むことが多かったそうです。

では、頼める人がいない場合は、どうしていたのでしょうか。

保証人というより、ほぼ「身元引受人」

店請人が引き受けたのは、家賃だけではありません。事典によると、次のようなことを請け負いました。

  • 借りる人の出どころ(身元)
  • 借金を抱えていないこと
  • 家賃の支払い
  • 問題を起こしたときの引き取り

家賃を立て替えるだけでなく、何かあれば本人ごと引き取る。いまで言えば、連帯保証人と身元引受人をひとりでやるようなものです。頼まれたほうは、たまったものではありません。

証文も残っています。享保2年(1717年)に、いまの広島県尾道で書かれた「借屋請状」には、家賃とその払いかたが書かれ、保証人が支払いを必ず保証する、とあります。

筆で書かれた古い和本の見開き
むかし:筆で書かれた古い和本(撮影:Dr. C.K. Huang/Unsplash)。イメージで、記事中の証文そのものではありません。

頼める人がいない。そこに商売が生まれた

町には、頼れる親類が近くにいない人もいます。すると、どうなるか。

江戸時代の半ばを過ぎると、付き合いのない相手でも、お金を受け取って保証人になる人が現れます。これが、だんだん当たり前になっていきました。

保証を「お願いする」ものから、「買う」ものへ。保証会社の考えかたは、このとき芽を出しています。

大坂では、奉行所のお墨付きに

この商売がはっきり形になったのが、大坂です。

大坂では、身元保証を商売にする「家請人」が増えていきました。同時に、借家人の立ち退きをめぐる訴えも、町奉行所に増えていきます。そこで家請人たちは、自分たちの仲間を公認してほしいと奉行所に申し出ました。享保17年(1732年)、53人が「家請人仲間」として指定されます。

家請人の仕事は、身元の保証だけではありませんでした。滞納した家賃の取り立て。家主が必要なときには、すみやかに退去させること。さらに、借家の紹介まで手がけていたと考えられています。

保証会社と仲介会社を足して、取り立てまで引き受ける。いまなら別々の会社に分かれている仕事です。不動産の仕事をしている私から見ると、約300年前の大先輩にあたります。頭が上がりません。

「保証人不要」は、新しい発明ではなかった

物件の広告で「保証人不要」「保証会社利用可」という言葉を見かけます。最近のサービスのように見えますが、発想そのものは約300年前からありました。

保証料を払うとき、もったいないと感じる方もいると思います。けれど、あれは「親戚に頭を下げる代わりの値段」だと考えると、見えかたが少し変わります。江戸時代の人も、同じ計算をしていたのかもしれません。

ちなみに、当時の保証の値段がいくらだったのかは、まだ調べがついていません。宿題がまた増えました。

書類にペンで署名する手元
いま:契約はペンと書類で(撮影:Scott Graham/Unsplash)。

次回は、江戸の「入居審査」です。借金がないことを、どうやって確かめたと思いますか?

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