長屋の井戸、地下水じゃない?|お部屋探し今むかし 江戸編⑦

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「長屋の井戸、地下水じゃない?」のタイトルと、桶の水がはねる写真。「井戸端」の印のイラスト入り
写真:桶にはねる水(撮影:Amritanshu Sikdar/Unsplash)。イメージです。「井戸端」の印もイメージです。

長屋の路地の奥には、共同の井戸がありました。井戸と聞いて、私は地面を深く掘って地下水を汲むものを想像していました。江戸の町なかでは、少し事情が違ったようです。

井戸の底は、水道につながっていた

江戸の風俗を記録した『守貞漫稿』を紹介する記事によると、江戸の井戸は、郊外から上水道で引いてきた水を溜めておくものでした。井戸のいちばん深いところから竹の筒が出ていて、それが地中の樋(とい)、つまり水道管につながっています。

水源は神田上水や玉川上水。最盛期には6つの水路が整備されていたそうです。樋は、大通りではおもに石製、枝分かれした先では木製でした。

つまり、長屋の井戸は「水道の出口」です。蛇口の代わりに、井戸から汲んでいたことになります。

木造の家にはさまれた細い路地
むかし:木造の家にはさまれた路地(撮影:Artem Shuba/Unsplash)。イメージです。

飲む、洗う、米をとぐ。ぜんぶ井戸端

井戸の水は、飲み水であると同時に、洗濯、行水、米とぎにも使われました。住人が毎日顔を合わせる場所です。「井戸端会議」という言葉が残るのも、うなずけます。

年に一度、住人総出の大そうじ

共同で使うものには、共同の手入れがつきものです。毎年、旧暦の7月7日は「井戸浚い(いどさらい)」の日とされていました。井戸の中をきれいにする日です。老若男女を問わず、参加する決まりだったそうです。

いまのマンションで言えば、貯水槽の清掃を住人全員でやるようなものです。七夕に、短冊ではなく桶を持って集合。なかなかの共用部分です。

ごみのルールは、1655年から

共用部分をもうひとつ。ごみです。

事典によると、江戸では明暦元年(1655年)に、ごみを川に捨てることが禁じられました。船で運んで永代島に捨てるよう、町々に命じたのです(改訂新版 世界大百科事典)。

町には「芥溜(ごみため)」が設けられ、そこから先の運搬と処分は、公認の請負人が引き受けました。この請負人たちの組合は、享保19年(1734年)に株仲間として公認されています。

決まった場所に出す。あとは専門の業者が運ぶ。いまのごみ置き場と収集のしくみは、370年ほど前に原型ができていました。

共用部分は、暮らしやすさを左右する

井戸もごみ溜めも、自分の部屋の外にあります。けれど、毎日かならず使うものです。

いまの物件でも同じです。ごみ置き場はきれいか。いつでも出せるのか、曜日が決まっているのか。共用の廊下や駐輪場は片づいているか。部屋の中の写真だけでは分からないところに、管理の質が出ます。物件を見くらべるときは、共用部分の情報も確かめてみてください。

水面に落ちる水滴と広がる波紋
いま:蛇口をひねれば水が出る。その手前に、長い歴史がありました(撮影:Jimmy Chang/Unsplash)。イメージです。

なお、井戸のしくみと井戸浚いは『守貞漫稿』を紹介する記事で、ごみのルールは事典で確認しました。上水の届かない地域の井戸がどうだったのかは、今回は調べきれていません。

次回は、江戸のレンタル屋さんの話です。布団まで借りられたそうです。

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